ようこそ!裏プロへ

裏プロとは表プロフィールに対して、「実は・・・」付きのプロフィール解説のページ

製作中。時々更新するのでお見逃しなく。

page1 寝なくても page2 哺乳瓶に酒?
page3 酒は涙か page4 懐かしいあの頃
page5 大学時代は page6 愛猫
page7 オックスフォードから(2002夏) page8 誰が酒の道に
page9 日曜のロースト page10 オックスフォードの家
page11 2002年本牧某家に集まった面々 page12 yukoの懐かしい写真集
new→page13 2003年雛寿司の晴れ姿 page14この人は
page15この手は page16
page17 page18
   

「ちびたんのブログ 」に遊びに行こう!

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page1 寝なくても

予告しちゃった以上、そろそろ何か書かなきゃと思うんですがぁ・・・「実は・・・」があまりにヒドクて本人の筆の力では難しいところがある。 どーしょーかなー。でもせっかく小さな入り口を見つけて来て下さったあなたのために、今日はヒトツだけ裏プロ話を。

★yukoが極わずかな睡眠時間で元気でいられるのは?

幼少の頃から、親の躾で夜9時には必ず就寝。大学入学のため上京した18歳の春までず〜〜〜っと毎晩9時にはお行儀良くオネムしていたのだ! 18歳までに一生分寝ちゃったので、後は人生の時間、倍にして生きられる!とはyukoの父親の言。 その言葉どおり、今は何故か一日をフル活用して生きとりま〜す。

もうヒトツの技は5分間睡眠を1時間睡眠の質に変換できること。「さあ、寝るよ!」と言った瞬間、もうガヲオオオーーってなもんですな。 現在は家族の中で一番遅く就寝、一番早く起床。偉い!家族は誰一人yukoが寝室で寝ているのを見たことがない!

それなのに他の人にはよく目撃されるのだ!車の中というのが一番危険!この心地よい揺り篭。電車にはあまり乗らないので、 電車の座席で隣のおじ様によっかかってスーなんてのは経験なし。深夜早朝のバーカウンターがその次に危ない。 バーのカウンターは突っ伏して寝るのにちょうど良い高さの店にしか行かない。その次は人様の膝の上(?)  これが一番望ましいんだけんどねえ・・・ 特に見目麗しき方の柔らかなお膝なんかが好みです。

と言うあたりで、またね。来てくれてありがとう。10日くらいで更新しまああああああああああす。

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page2 哺乳瓶に酒?

このページは裏プロの2ページめ  どんなこと書こうかなあ・・・

酒の話題ばかり思いつくのもいかがなものか・・・

でも催促されっちゃってるし・・・

ま、この際、酒でいいか・・・

質問その1)

★生まれたときから哺乳瓶に酒忍ばせてましたか?

お答え)

はいはい、そのとおりでございます。(誰が信じる?)

真面目なお答え)

生まれ方が、ちっとばかり変わっておりましたそうな。その年の11月18日はやけに寒い日で、 分娩室には練炭火鉢がカンカンカンと熱を発しておりました。母親となる人が、陣痛の合間に ふと気が付いてあたりを見回すと、 なんと、なんと、助産婦さんをはじめ、看護婦さん、お医者さん、一酸化炭素中毒で、た、た、た、倒れていたのです!

ハハは強しと申しましょうか、そこで彼女は誰の助けも得られずにひとりでぐあむばって玉のような(?)女の子を出産したのでございます。 本人も一酸化炭素にやられ、苦しい息の下から夢中で助けを呼びました。

気が付いた婦長さんが急ぎ駆けつけてみると、その玉のような赤子は血の気を失ってもはや青玉に色を変えて、呼吸もなし。泣きもせず。 そこで、婦長さんは直ちに熱いお湯と冷た〜いお水をそれぞれにタライに入れ、ぐったりしたその子の足首掴んで頭から逆さに、 お湯、水、お湯、水とアップププさせました。す、すると、あ〜らら、不思議、色が赤子に変わり、やっと息を吹き返して 「おんぎゃー、ふんぎゃあ、ふんぎゃらがっが、おわあああ」と産声をあげたそうな。

というような感じでこの世に出て参りましたyuko、はなから強烈な人生経験の第一歩を踏み出したわけでございます。

感想)

いやあ、よかった!酒以外の話題が書けて・・・

しかもプロフィールのはじめを飾るにふさわしい、出生の秘密からでございました。  (2/11/2002 記)

質問その2はまたの機会に別ページに。

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page3 酒は涙か

このページは裏プロ3ページめ

3ページまで作っちゃたものの、何書こうかなあ。

書き始めると止まらない話題があり過ぎ!

このページを覗いたあなた、なにか投稿して下さい。(^^)


★一番好きな歌は「酒は涙かため息か」である!?

yuko「今夜、この続き書こうと思ったんだけど、飲み屋でいやな男に絡まれて帰宅。

もおおう!ドタまくってしまおうかしらん状態のため明日にしま〜す。」

2/13/02 2:00 am 記

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page4 4/26/02 懐かしいあの頃

4月27日の女子大園遊会の前に東女時代のことなど、ひとつふたつ。と思ってゼミのことやら書いてみたけれど、 読んでみてちっともオモロクないので路線変更。別のこと書こうっと。何がいいかな?そうだ!下宿のこと、毎日の生活のことかな・・・ あとは「とんかつ登亭」のことでも書くとするか・・・

生活面はというと、団体生活不適合との理由から入寮を許されず、下宿。O下宿と言えば東女OGのOさんの厳しい管理で有名。一年で、 そこを(^^;の理由で出て、N下宿に移る。これがまた大変なところでまたもや一年あまりで出る。 (この二つの下宿のことを書くと、数十ページは必要なので割愛)残りの学生生活を快適に送ったのは西荻南にあった喫茶店オイキアミノアの二階。 この大家さんは最高!話はわかるしコーヒーは美味しい!居住者が二人に増えても文句も言わず・・・??(^^;

常連として通った店は女子大生御用達の「こけし屋」さんではなく、西荻駅南口に今でもある定食屋の「とんかつ登亭」カウンター席で の食事の持ち時間はひとり最長15分と言うこの店には女性客はなく、初めて行った日には、店主に怒鳴られる。。

「女はお断りだよ。この店はな、長っ尻で、ちょぼちょぼしか飯食わねえ女なんかに用はねえんだよ!」・・・15分経過して、 「あんた、どこの学生さん?」「女にしとくにゃ惜しい食いっぷり!」「○○△大」卒業まで○○△大の学生を押し通す。 とんかつ登亭の歴史に残る、唯一の女子大生の常連。

ちなみに、女子大の卒業式の祝いの食事もこの「とんかつ登亭」お祝いに、定食メニューにないオムライスを作ってもらう。 もちろん特製のお新香、味噌汁つき。おじさん、あのころよく言ったっけ、「俺にも味噌汁!」という客に。

「うちはな、サービスで出してんだ、気に入った客だけに出すのがほんとのサービスってもんだ!」おじさ〜ん、 今じゃうちのボンがお世話になってやす・・・味噌汁出してやってくれる?

現在のマネージャーであり夫であるTはこの卒業式の日にはyukoの「父親」と言い張って出席。女子大の歴史に残る、 卒業式列席最少年齢の父親。とんかつ登亭の歴史に残る、女連れで店に来た勇気ある客。

そう言えば、私を酒の道に引きずり込んだのが誰だったか思い出した!

それはまた別ページの巻。

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page5 4/26/02 大学時代は

4月27日の女子大園遊会の前に東女時代のことなど、ひとつふたつ。

そもそも東女の門をくぐることになったのは、入試科目が5科目から2科目へ突然変更になった幸運。 得意科目より不得意科目の方が多いのを平然当然としていた私には天の恵み!だって得意科目って入試の2科目の英語と国語だけだったんだもん!

英米文学科の専攻試験もなんとか切り抜けて、当時バリバリの若手、佐藤宏子先生の現代アメリカ女流文学のゼミなどに。 容赦なく読まされる原文の作品に泣きに泣く毎日。だって難しくて読めないんだもん。毎週、短、中編一冊の宿題には実際まいっちゃう。 でも、大真面目に必死で読む。

・・・と書くと、真面目な学生だったような印象があるが、今の仕事に関係があるとも思わず、フランス語、フランス文学はサボりにサボって、 教室の一番前に座っている熱心なお友達にノート取りはお任せで、毎日あっちこっちフラフラする。そのツケが今、回ってくるとは思いもよらず。 二宮フサ先生、私が悪うございましたぁ!あぁ、あの時もっと真面目に勉強していれば、今、こんなに訳詞で苦労する事もなかっただろうにね。

女子大3年目の初めに、2回の入院、手術のために出席日数が危ぶまれたが、これも代返とノート写しで切り抜ける。入院中に人生観(?)が変わり、 退院後、大学に戻った時は現代アメリカ女流文学から英国ロマン派詩へ。ゼミも北村常夫先生、橋爪茂子先生の下へ。

プレクトラム研究会に所属するも、当時のプレ研のあまりにハイソな雰囲気について行けず、挫折。小田島雄志先生の「リア王」の講義の終わりに、 ひとり演説をぶちまけ、「翻訳同好会」・・・のようなものを結成、仲間を募る。その時の11人は今もって東女の歴史に残る。

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ようこそ裏プロページ6へ!

ここは我が家の愛猫クゥのフォトでもご覧下さい。

携帯付属のデジカメで撮ったものです。 5/01/02

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pqge7 オックスフォードから(2002年)09/08/02 更新

たまには真面目に書いてみよう!いつまで続くかわからんけれどね。
たぶん、予測としては、真面目に書くと、読んで下さる人にも自分にもおもしろくないと思うよ・・・
07/08/002


今日は一日、朝から快晴、ビールが美味い!夕方遅くになって川べりのパブ、King's Arms で冷えてないギネスを飲りながら、 ぼーっと時間を過ごし、薄暗くなってから帰宅。10時前。8月になって日が短くなったとは言え、9時ごろまでは、まだ明るい。
夕飯をしつらえて食べるほどのお腹具合でもないので、やはり酒じたくをする。我が家のバルコニーのテーブルで、 ひとりぼんやり飲む時間が持てるのは日本の生活にはない贅沢。今夜は特別にと、いつもの小さなキャンドルの他に、 お気に入りのキャンドルスタンドに七つの灯りをともしてセッティング。さて、と部屋に入って何を飲もうか物色しているうちに、 信じられない雨音。灯したばかりのキャンドルは無残にも激しい雨に打たれ、消沈。

またたく間に夜空は更に闇を濃くし、風さえ出てくる、寒い。これじゃ、ホットブランディかなと、グラスを代えているうちに雨音は遠のく。 まさか!絶対!そんなはずは!でも、それがあり得るのがイギリスのお天気。外はもう、雨の影もない。僅かにテーブルに水溜りを残すのみ。 雲さえかからない月が笑う夜空。外は諦めてパソコンの前に座って飲みます。

そうすれば、これも書けるしね。


08/08/02
水曜日、木曜日は市の立つ日。オックスフォードの街の中心部にある広場に、朝からトラックや車が様々な品物を運び込み、 仮設のテントで商いが始まる。水曜日は食品、日用雑貨。木曜日は骨董市。ただの古物がほとんどの骨董市。古着、古本もあれば、 アジア、アフリカからのエキゾティックなアクセサリー類。コクニー訛りのおにいちゃんが口上よろしく、何の変哲もない食器を売っていたりもする。

今日は古い顔馴染みに会った。何年ぶりだろう。様々なサイズのタイルに絵や字をハンドペイントして焼いて売っている。 彼の描く動物の絵柄が好きで、何年か前に、この市場で数枚買い求めた。毎週、市の立つ日には来ると言っていたのにそれっきり見かけず、 今日になっての再会。
あの時、彼は突然、台の下から Boring women have tidy kitchens. と焼き付けたタイルを引っ張り出して、 「これを日本語に訳してくれないか」と言ったのだ。日本人の観光客が多いので、ベストセラーを日本語にして焼き付けて売りたいらしい。

「日本人はイギリスに来て日本語の入っているお土産なんか買わないよ。」と忠告したけれど、どうしてもと言うので、 「つまんない女ほど台所を磨きたてる」とかなんとか、紙に書いて渡して勘弁してもらった覚えがある。
「それで、例のタイルは売れたの?」と聞くと、それには答えずに「翻訳のお礼」と言って1ポンドばかり負けてくれた。 今日買ったのは針ねずみの描いてある小さなタイル2枚。「来週も来る?」と聞いたら「毎週来るさ。」と 髪だかヒゲだかわからないモジャモジャの中から目と唇が少し笑った。


Queen's Englishはどこに? 09/08/02

木曜骨董市での話し。
「おにいさん、これいくら?」
「xxxxxxxx 3ポンド」
うそっ!わかんない。何度か聞きなおしたのに、わからない。何だ、何だ、なんだ?英語がわかんないよー!横から。お嬢が助け舟。

「ひと組で3ポンドって言ってるよ。」
「え?え、え、え、えーーっ!お前、英語わかるの?すっごいね。私にもわかんないのにわかるわけぇ?さすがぁ!無駄に英語学校行ってるわけじゃないんだね!」
「あのさぁ、語学学校をなめたらあかんぜよ。私の隣はコンゴの男。その隣はメキシコ、ポーランドの尼さん、ロシアのイケメンねえちゃんだよ、 ご学友は。毎日、学校行ってれば先生の英語はわかんなくても、変な発音の英語にはしっかり慣れるんだよ。 クラスの中の英語のどれかに似てんだからさぁ。」
お、おおおおみそれいたしやした。よく見れば、売り子のおにいさん、イギリス産じゃなかったのだ。 なんでこんなことすぐピンと来なかったんだろ?情け無し。そこで、外国語を聞く耳になってもう一度聞いてみると「a pair」とちゃんと聞こえる ではないか!イギリスのQueen'sEnglishはどこに?なんて言ってる場合じゃなかったのだ。 日頃からお嬢とボンに「即戦力!即戦力のみが本物の力であ〜る!」と言い聞かせている私としたことが、オホホであった。

毎夏、こちらに来る度に、耳新しい語彙が増えていたり、イギリス人の発音が微妙に変化してきているのに気づくが、 近年は外国人からの影響もイギリス英語を変えているようだ。自国の伝統、習慣だけではなく母国語に関しても頑固なまでに「イギリス流」を 固持してきたこの国も変わりつつある。コミュニケーションができれば、さしあたり良しとする英語を教える必要性もあるのだろう。 どの国で使われる言語も価値は平等。お互いに敬意を払って、できるだけ正統な使い方をするのも、 受け入れ影響されあって妥協できるというのも平等。自国の文化、言語が一番であると思っている国があるとすれば、いただけない。

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page8「誰が酒の道に」 13/08/02

裏プロ4ページめに「誰が私を酒の道に引きずり込んだか思い出した!」と書いたっきりでした。

その当人というわけではないけれど、ゆかりのお人のことを書きましょう。どう見ても超人的な義父のこと。

今年の夏は彼が二年ぶりに渡英し、久々にゆっくり酌み交わす。彼の飲みっぷりと来たら、朝から先ず赤ワイン、お昼はお天気具合によって ビールからワインか、時にはウィスキーも。夕飯時から夜は当然のこと、フルコースを嗜まれるのです。肴、料理によって、様々なものを合わせるけれど、最近は 焼酎の事が多い。理由を聞いたら、「安い、酔い心地が良い、翌朝に残らない」

こう書くと、アルチュウルではないかとご心配をうけそうだけれど、無用むよう!齢80にして体力気力ともに、 そこらのへなちょこニーチャンには引けはとりませぬ。朝からステーキさえバリバリお召し上がりです。どんなに飲んでも翌朝、 酒の匂いが毛穴から昇り立つようなヤワなお人ではござんせん。乱れた酒を飲んだのを見たこともありませぬ。

その義父と朝晩いっしょだから、たまらんわけです。朝食のベーコンエッグを目の前にして「yukoさん、こんな良い肴があるならば、 一杯もらおうか」と赤ワイン。休み中なので、居合い、剣道の指導もなく、朝から飲めない理由はなし。 赤ワインのグラスはすぐさまブランディのグラスに変わる。誘われて、私もお付き合い。いえ、彼と違ってワイン一杯だけです、ほ〜んと。 「遠慮はいらん、酒飲みは血筋じゃ」とおっしゃるが、私は血はつながっていないのをお忘れか。

オックスフォードからスコットランドに小旅行に出かける前も、ブランディの小瓶を用意したら、「いやいや、酒は現地で調達するからよか」と 言いつつ、しっかりポケットに。帰宅時には「持って行っててよかったぁ!」でも、その気持ち、 わかるんだなあ!飲みたいと思った時に無いというのは、用を足したい時にトイレが見つからないと同じくらい困り果てるもんです! スコットランドでは小さな村のパブで外国語の障害ものともせず、すっかり人気者になり、帰りにはお土産までいただいて帰宅。 無事帰宅を理由にまた一杯やろうとのお誘い。嫌いじゃない私めは、当然、肴をしつらえつつ、自分もいつしかアルコホルフルコースへ。 たいして特別なものをつくるわけでもないのに、酒があると何もかも美味しい。酒の相手とウマが合うと何でも美味しい。

ボンとお嬢とに連れ立って、出かけた先のロンドンで朝から、一日若い人と同じように遊び、食べ、夕食にと入ったソーホーの中華街の店で 紹興酒を所望するも、ボンに「高額過ぎる!」と容赦も無く切り捨てられ、かわりに沢の鶴を二合ばかりあてがわれ、お冠で帰宅した義父。 80歳のお人の所望召されるものに「高額過ぎる」ものは無いとボンを諭したものの、 確かにこの義父では高齢を理由に労わるという感覚にはなれないかもしれないと、変なところに感心。飲めなかった紹興酒 のかわりに一杯いかがと水を向けるとすぐご機嫌は日向に変わり、またまた深夜の酒盛りとなる。

かくして夜は更け、話ははずみ、寝る時間は忘れる。義父は「あんたと飲むのが一番、酒が美味い!」と世辞を言い、 その世辞にまた杯を返すと言った具合なので終わりが無い。とうとう、私の方が「まいりましてござりまする!」で一本。 義父は悠々と席を立ち、寝所に!その後姿がこれまた、惚れ惚れするような腰の座り様。飲んでも飲んでも丹田に気は満ちて、 これじゃやっぱり「酔剣じゃ」とのたまうのは真実であると恐れ入る。

おそろしや。

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page9 日曜のロースト 18/08/02

今日は日曜日。お嬢の買い物に付き合って午前中はぱあー。ドレス二着、ジーンズ一本、全く散財じゃわ!と言うのは嘘で、

ドレスは二着で2ポンド。360円。ジーンズは新品なので17ポンド。これも街で買うより破格に安い。

カーブーツセールと呼ばれる、ガレージセールのような所で調達。私自身も信じられないような掘り出し物を見つけてウッホッホ。

ロイヤルウースターのスフレ型、ほとんど新品同様で6客揃い。5ポンド。実に質素かつ有意義なな買い物でした。

おまけに今夜はシーラとトニーの日曜日のディナーに招かれているので、夕飯のしたくも無し。イギリスの料理はまずいと人は言うけれど、

私は運が強いのか、あまりまずいものを食べずにすんでいる。シーラのサンデーローストは賞賛に値する!

要するにローストビーフとヨークシャープディングと何種類かのゆで野菜とローストポテト。

それに肉汁のグレービーソースが一面にかかっているもの。それでも、そこらへんのレストランやパブで出されるものとはわけが違う。

外食すると、肉はまあまあとして、野菜がえられないほどまずい。冷凍を使っているのだと思う。

シーラの野菜は家の家庭菜園からのものもあって、野菜らしい香りと味がする。

ものが新しいと少々ゆですぎようが何をしようがやはりおいしい!

以前はイギリス人の日曜日の食事はお昼の2時ごろのローストディナーと決まっていたけれど、最近は生活が変わったのか、

夜のディナーをする人が多くなってきた。

お昼すぎにしっかりディナーを食べたら後は家族で休日を楽しみ、夜になっておなかが空いた人にはティー。

これは単にお茶ではなくて、胡瓜のサンドイッチとお菓子類とお茶。

ディナーの後はもう重いものは食べたくないし、胡瓜のサンドイッチあたりがぴったり。これが、どこの家でも同じパターンだからすごい。

金、土曜日の店では、ロースト用の肉と胡瓜は品切れになる前に買いに行かなくちゃというふう。

でも、それも今は変わって、巨大な郊外型スーパーには24時間、何でもそろっている。

お嬢が、さっき買ってきたスフレ型に今晩のデザートを焼き上げたようです。良いにおい。カラメルカスタード。

私はワインボトルをぶら下げて行くのみ。それではみなさん、楽しんで来ま〜す。

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page10 オックスフォードの家 20/08/02

「トニー、家が買いたい!」

「お前が何言っても驚かないが、何で家なの?他のもので間に合わせなよ。自分が何やろうとしてるかわかってんの?」

1994年の夏、私は三ヶ月の長いお休みをもらってオックスフォードに来ていた。そのお休みがそろそろ終わろうとしていた8月半ば、帰国の

準にとりかかろうとしていた矢先、その考えは突然、私の頭にひらめき、離れなくなった。「ひらめく」ということの貴重さを思い知っていた私

は「家が買いたい!」と言い張った。長い間、何もひらめかないスランプを悶々と過ごしたこともあるのだ。逃したくない。

ひらめきの次はその火を消さないための理由付け。この三ヶ月の休みで、どれだけ私が元気を回復したか、創造的な気力を取り戻したか

家族とも新鮮な関係を持てたか・・・考えれば切りがない。だから、私はまたオックスフォードに戻って来なければならない!我侭極まりない

理由付け。けれど、我侭もエネルギーを燃やす燃料の足しぐらいにはなるのだ。この際、実現するためには何だってやる!家族のことも考

えると、フラットではなく、家を買わなくては!と、都合のいい時には家族を持ち出す。実現までは、勢いに気合をかけて走らなければ!

毎年オックスフォードで休みを過ごすために家が買いたいと夫にファックスを出したら、即OKの返事が来た。家族を残して三ヶ月のオック

スフォードでの休みにOKが来た時にも驚いたが、これには、そばで見ていたトニーもびっくり。ファックスの何やら箇条書きのようなものを

横目で見ながら「反対の理由がリストにしてあるに違いないさ」

ところが、その箇条書きには既に、イギリスの土地家屋購入に関しての調べて返信すべき内容が書かれていた。夫がOKの返事をする時

はいつも既にその目算ができているのだ。幸い友人がその関係の仕事をしていたこともあって、殆どの質問は即クリア。翌日から家さがし

が始まった。不動産屋のウィンドウを熱心に見て歩く。新聞の不動産広告をくまなく見る。友人たちに情報を求める。実際に見に行った家

の中には夢のような家も。テムズの支流の水際に立っていて庭から舟遊びが出来るようなロケーション。ビクトリアン建築の美しい家。とこ

ろが、トニーもシーラも首を縦に振らない。「非現実的!」の一言。

ある日、トニーが口笛を吹きながらやって来て「あのなあ、良い家を一軒見つけたよ。でも実に残念なことに俺たちの家のすぐそばなんだ

よ。それさえなきゃ、ベストなんだけどなあ。」

その家がここ、27 Cavell Road. Oxford カレッジが立ち並ぶオックスフォードの街の中心から南に2〜3キロ。大きなIffley Rd.から一本

中に入った住宅地。そのイフリーロードにはトニーたちの家がある。歩いて三分。スープの冷めない距離。だが、スープを運んだことはな

い。いつもぶら下げていくのはボトル。27番の私の家は通りの一番奥。道はここで終わり、その先は公営のグランド。そして木立の先は

川。この川辺を辿って街まで歩ける。朝の散歩道。日曜日の釣り場。私はあまり歩かないが、歩いていく人を眺めるのも楽しい。

いったん帰国した私は夫とともに再びオックスフォードに戻り、夫が慌しく帰っていった後の一週間で全ての手続きを済ませて、めでたく友

人たちとシャンパンで祝杯。この友人たちのサポートがなかったら、絶対に買えなかっただろうし、それはその後の家の改装、現在のメン

テナンスについても否めない。

トニーのアドバイスで、家を三つのフラットに改装し、ひとつを管理人用に、もうひとつを賃貸フラットに。残りの2階フロアと屋根裏を私用

に。主寝室の他に二つのベッドルーム。予備のゲストルーム。リビングダイニングキッチン。バルコニーは広く、私は天気の良い日は殆ど

の時間をここか、庭で過ごす。

庭は、ランドスケープをみっつに。手前は見るためのイングリッシュガーデン。小さな池もある。横浜の庭ではいつも枯れてしまうハニー

デューも何種類か塀伝いに育ってきて、夏は香りが楽しめる。小さな築山の向こうはユーティリティ、要するに洗濯物干し用のスペース。

針金が高く一本渡してあるだけ。夏の間、私は怠けていつも乾燥機のお世話になり、ここを利用したことは無い。イギリスの気まぐれなお天

気に振り回されて一日中、洗濯物の番をするなんてごめんだ。その向こうには菜園と農機具小屋。小さなガーデンテーブルと椅子の置いて

ある蔦棚の下のコーナーは私にいつも「秘密の花園」を思い出させる。

住み込みの管理をしてくれているのはトニーとシーラの下の娘のリンダ。娘のミリーを一人で育てている。私がホームステイさせてもらって

いた時にリンダは9歳だった。彼女の協力なしにはこの家は維持できない。もちろん菜園の野菜も。

今年の夏は、リビング脇の小さなベッドルームを私のスタディに占領することにして、デスク、キーボード、CDプレーヤー、パソコンをぐるり

周りに置き、あ〜あ、これで休み中でも仕事しないわけにはいかなくなった。

ここの三つのフラットは全て家具、冷蔵庫はもちろん電子レンジ、食器にいたるまで備え付けで貸す。私用のフラットも私が居ない間の10

ヶ月くらいは短期で貸している。オックスフォードは大学街。短期で借りたい人をさがすのは難しくはない。私は夏の終わりに、主寝室に私

物を押し込め鍵をリンダに預けて帰国する。来年また来る時には元通りに壁には絵がかかり、冷蔵庫にはバター、ミルク、そしてもちろん

ギネスとビター。彼女に何と言って感謝していいか言葉が見つからない。

この家を買ったあの夏の目まぐるしさ。家を買う目的のためにオックスフォードに来たのではない。5年にも渡る人生最大のスランプを何と

か払拭するため。日常生活の中で考えていても思考は同じ所から飛び立ちもせず。物理的なショック療法しかないと思った。そのための距

離移動。今、毎夏の距離移動でリフレッシュできる自分はスランプを知らない。こんな時間がいつまで続くのか。心配するのはよそう。どん

な時でもどんな状態の時でも生きている限りいつも「ひらめき」の種火は消える事はないだろうから。

空気の色が秋に変わっている。朝早いうちに庭に下りると、足先を濡らす露が冷たい。今年も帰国が近づいた。

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page11 2002年本牧某家に集まった面々

ええっと、どれにしようかなぁ。早く取らないと行っちゃうよ!見てのグルグル回転パーティ絵巻でござ〜〜い。

好きなの、取り損なっちゃった人は個人的に交渉可。2002年12月13日本牧某家の某パーティ kaiten by yo-1

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page12 yukoの懐かしい写真集

父親が写真を趣味にしていたので、こんなどアップが残ってました。5歳くらいかな。

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page13 2003年雛寿司の晴れ姿

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お嬢作品、側面またはプロフィール ↓

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